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刷込みは決して忘れる事が有り得ない! [心理学]

オーストリア出身の動物学者にして医学博士コンラート・ローレンツは、動物行動学の提唱者のひとりだ。

動物行動学とは、自然環境での動物の行動を比較研究する学問だ。

ローレンツの業績は、家族で避暑に出かけていたアルテンブルクの別荘でガチョーとアヒルを観察する事から始まった。


ローレンツによれば、雛鳥は孵化して直に母鳥と強い結びつきを作るが、母鳥が不在の場合には育て親との間に類似の愛情関係を形作ることもある。

この現象は以前から観察されていたが、それを「刷込み」と名付けたのはローレンツだ。

ローレンツがこの現象を最初に体系的に研究したのだ。


良く知られるように、ローレンツはガチョーとアヒルに同じことをして、自身をアヒルに育ての親と認めさせる事に成功した。

刷込みと学習の違いとして、ローレンツが発見したのは、刷込みが動物の発達段階の特定の時期にのみ起ると言う事であり、それをローレンツは「臨界期」と名付けた。

学習と違って、刷込みは短期間に生じ、行動とは無関係に機能し、取消しえない事が明らかとなった。


刷込みは忘れられる事がありえないのだ。

ローレンツは、他にも多くの一定の時期と結びついた本能的な行動、例えば求愛行動の観察を続け、そうした行動を「固定された行動パターン」として記述した。

それらは、特定の臨界期に特定の刺激によって誘発される迄は、いわば冬眠状態にある。


ローレンツによれば、固定された行動パターンは学習されるのではなく、遺伝的にプログラムされており、自然淘汰の過程を通して進展する。

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カール・ラシュレーによる記憶の追跡 [心理学]

生理学から心理学に転じた米国のカール・ラシュレーは、学習過程で大脳内では物理的に何が起こっているのかに関心を持った。

パヴロフ等の行動主義者が、条件付けによって大脳の内に化学的ないし電気的な変化が生じる可能性を仄めかしていたが、その変化がどんなものなのかを、正確に突き止めようとしていたのだ。

取分け、ラシューレは、記憶痕跡即ち大脳内で記憶を司る特定の領野とされる「エングラム」の位置を明確にしたいと考えた。


多くの行動主義者達と同様、ラシューレも学習実験の基礎として迷路の中のモルモットを用いた。

最初にモルモットは迷路を迷路を抜け出して報酬である食餌に到達するルートを見出す事を学習した。

次いで、ラシューレはこのモルモットに外科手術を施して、大脳皮質の特定の異なった部位を夫々除去した。


その後、モルモットは改めて迷路に入れられ、記憶と学習の能力をテストされた。

この結果分かったのは、大脳のどの部位が除去されても、課題についてのモルモットの記憶は維持されていたという事だ。

モルモットの学習と新しい課題の記憶力とは減衰したが、どの位減衰するかはダメージの部位では無く、ダメージの広がりに左右された。


そこからラシューレは、記憶痕跡は特定の部位に局在化されているのでは無く、大脳皮質全体に均等に割り振られていると結論した。

大脳の各部位はどこも同等に重要であり、言い換えれば等位なのだ。数十年の後、ラシューレはその実験によって「時として、必然的な結論は、そもそも学習等可能ではない…という事になるように思われるに至った」と語った。

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ネコにとってネズミを「好む」こと以上に自然なことは無い [心理学]

1920年代に、ジョン・B・ワトソンは、生得的な行動でさえ条件付けによって変え得ると主張した。

行動主義の観念をその極限まで推し進めたZing=Yang Kuoは、行動を説明する要因としての本能の実在を否定した。

Zing=Yang Kuoの考えでは、本能とは流通している理論にそぐわない行動を説明する上での、心理学者達にとっての安楽な手法でしか無い。


「過去における私達の行動の探究は、誤った方向へ進んでいた。何代私達は、どのようにして動物の内に自然を組込めるかを探究する代りに、動物の内に自然を見出そうとしていたのだ」。

Zing=Yang Kuoの最も良く知られた実験は、子猫を育てると言うものだ。

1方の猫は生れて直籠の中で鼠と育てられ、、他方の猫は大分成長が進んだ段階で鼠と対面させられた。


これによって分ったのは、「もし子猫が誕生して直に鼠と一緒に同じ籠で育てられたら、鼠に寛容になる。鼠に攻撃を仕掛けないばかりでなく、鼠を『仲間』として受入、共に遊び、愛着を示したりする」という事だ。

Zing=Yang Kuoの研究は、中国における政治事件によって短期間で終わった。

この事件でZing=Yang Kuoは、最初米国へ、次いで香港へ避難せさせるをえなかった。


Zing=Yang Kuoの考えが西側諸国で知られるようになったのは、そろそろ行動主義が衰え始め、認知心理学が台頭しつつある時代になっての事であった。

だが、内面的メカニズムと無関係に進展してゆくZing=Yang Kuoの理論は、本当に足場を置いたコンラート・ローレンツの心理学と真逆の立場として影響力を持った。

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「偶然性」理論を提唱したエドウィン・ガスリー [心理学]

米国のエドウィン・ガスリーがその関心を心理学に向けだした1920年代までには、学習の刺激━反応モデルが殆ど全ての行動主義理論の土台を為していた。

イヴァン・パヴロフの「古典的条件づけ」から派生したそのモデルによるなら、特定の刺激結合(例えば、食餌を与える事とベルを鳴らす事)を繰り返し被験者に提示すると、最後には条件づけられた反応(例えば、ベルが鳴らされただけで涎が沸き起こる)が生じるようになる。

ガスリーは厳格な行動主義者ではあったが、条件付けが成功するには強化が不可欠だとは考えなかった。


ガスリーの考えでは、特定の刺激と反応の間の完全な連合は、それらが最初に顕れた時に作られる。

ガスリーの単一━思考学習理論は、「パズルボックス」の中に捕えられた猫の観察を通じてガスリーが行った研究を土台にしている。

猫は一度脱出の方法を知ると、脱出と自らの行動との間に連合を作りだし、その行動がその後の機会の度に繰り返された。


ガスリーの言う所では、同様にモルモットは、1度餌のありかを知ると、空腹の時には何処に行けば良いのか分るようになる。

ガスリーは自身の考えを拡張して、「偶然性」理論を確立するが、これによれば、「ある刺激が、その後に生じる度毎に続いてその運動が惹き起されるようになる」。

刺激━反応連合の学習から学ばれるのは、行動ではなく運動だ。


関係しあう運動が結合して、ある動作を形作る。

反復は連合を強化するのでは無く、様々な作用の形成へ通じて行くのであり、それらの作用が結びついて行動を形作るのに至るのだ。


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壮大な天与の迷路、これこそ私達人間の世界だ [心理学]

エドワード・トールマンは、米国の行動主義心理学の主導的人物と目されてはいるものの、ソーンダイク及びワトソンとはとても異なるアプローチを採用した。

トールマンは、心理学は客観的かつ科学的な実験によってのみ研究され得るという行動主義の基本的方法論には賛意は示すものの、知覚や認知、動機付けといった精神過程にも関心を示していた。

ドイツでゲシュタルト心理学を学んだ折に、そうした問題に出逢ったのだ。


それまでは分断されていたこの2つのアプローチの橋渡しする事で、トールマンは条件付けの役割に関する新たな理論を発展させ、彼の用語では「目的的行動主義」、今でいう認知的行動主義を創造した。

トールマンは、(行動は刺激に対する自動的な反応によって容易に学ばれると言う)条件付け学習の基本的前提に疑問を投げかけた。

トールマンの考えでは、動物は周囲世界について、報酬で強化される事無く学んでおり、後になってその知識を行動の決断に際して活用もする。


トールマンは、迷路とモルモットを用いて一連の実験を計画したが、その目的は学習における強化の役割の吟味にあった。

迷路脱出に成功する度に毎日食餌という報酬を与えられたモルモットのグループと、6日経ってようやく報酬を与えられたグループ、更に2日後に報酬を与えられた第三のグループを比較する事でトールマンの考えは裏付けられた。


第2、第3のグループは、食事の報酬が与えられた後の日の迷路脱出実験においても、殆ど誤りを犯さなかったのだ。

これは、これらのグループのモルモットが迷路の中での自分たちの辿るべき道を既に「わかって」おり、報酬を受けるよりも前にそれを学習してしまった事を証明している。

一度報酬が与えられたなら、モルモットは既に確率されている「認知マップ」を活用して、より早く迷路を脱出することさえ可能になる。


トールマンは、モルモット達の最初の学習期間━その際には、未だ明確な報酬は与えられていない━を「潜在的学習」期間と見做す。

トールマンの考えでは、人間も含めてあらゆる動物は、日々の暮らしを営む中で、周囲世界についての認知マップを作り上げる。

この「壮大な迷路」は、その都度特定のゴールを位置付けるのに用いられ得る。


トールマンは、私達が毎日の移動の中で様々な場所をどのように覚えているかを例にだす。

私達は、ルート上にあるどこかを特定する必要に迫られない限り、自分が既に知っているはずの事を一々思い起さない。

更なる実験で、モルモットが学習するのは単に特定の場所に至るのに必要な曲がり角ではなく、場所の感覚である事が明かになった。

『新行動主義心理学━動物と人間における目的的行動』の中で、トールマンは潜在的学習と認知マップについての自らの理論の概要を提示し、行動主義の方法論とゲシュタルト心理学を結び付けて、認知と言う要素を導入した。

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行動主義の「創設の父」ジョン・B・ワトソン [心理学]

ワトソンはソーンダイクと異なり、パブロフの条件付けを小児を対象として行った。
地方の児童病院から生後9ヶ月のアルバート・Bを選び、様々な条件付けのテストを行い、アルバートをモルモットとして扱い、それによって人も動物と同じく条件付けされると結論を得た。
しかし、その成功は長続きせず、研究助手ロザリー・レイナーとのスキャンダルが問題となり、ジョンズ・ホプキンス大学を追われた。
ワトソンの幼少期は、不幸なもので大酒飲みで女誑しの父親が家を出て、母親は熱心な宗教信者であった。
そういうワトソンの主張は「ベースとなる(学習されるのではない)人間の情動は恐れと怒りと愛だ」と言うものであった。
これらの感情は、刺激━反応条件付けを通じて対象に結び付られ、人々は対象に対して情動的反応をするよう条件付けられ得ると主張した。
一方、パブロフは動物で条件を付けを通して、行動レベルでの反応を学びうることを示した。
人間も又、条件付ける事に対して身体的な反応を示す事ができるようになる。
誰であれ、元々の環境に関わり無く、訓練次第で何にでもなり得ると言う結論を示した。
しかし、ワトソン自体は1935年に37才レイナーがで亡くなると、世捨て人同然の暮らしをするようになった。
如何なる立場であれ、人の尊厳を無視するような事をする末路をしめされたように感じる。

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米国行動主義心理学の魁、エドワード・ソーンダイク [心理学]

鶏を使い、後にこの研究で行動主義の実験技法の代名詞となった、実験用に特別に迷路を作って、通り抜けるよう鶏に学習させ、それを観察して知能と学習のプロセスを研究することを目標とした。
その後、関心を猫に向け、「パズルホックス(問題箱)」を考案して、抜け出す為の仕組みを学習能力が猫にあるかどうかを観察し、腹を空かせた猫がパズルボックスの中に閉じ込められ、自分の置かれた環境を探索する事で円環状になった紐とか輪、押し釦やパルメと言った様々な装置を通過してゆくことになる。
その中の1つだけが、ボックスの扉を開ける仕掛けになっていて、そうこうする内に猫は仕組みを見抜いて脱出し、餌を獲得するのに成功し、この過程を繰り返し行われ、その都度猫が箱を開ける時間を計測する。
これによって、どれ程短時間で動物がその環境について学習するものであるか分る訳だ。
実験には何匹も猫が用いられ、その都度異なった仕組みで開くように作られた一連の箱が用意された。
ソーンダイクが気付いたのは、全ての猫が何度もの試行錯誤を通じて抜け出す仕組みを見出したが、続く数度のチャレンジにおいて、どう振る舞えば失敗し、どうすれば成功するかを猫が学習するに連れて、試行錯誤の回数が段々と減少していったと言う事だ。
ソーンダイクは以上により、「効果の法則」を提唱し、それはあらゆる行動心理学の背景にある観念、即ち刺激及び反応と学習及び行動の過程にとの間にある結合が作られるということについての最初の表明であった。
更に刺激(S)と反応(R)との間に結合が生じると、それに対応する長期増強が育成されると考え、ソーンダイクは、自らのS━R学習の特徴を「結合主義」と呼ぶが、それは学習を通じて作られた結合が脳に造られる。
ソーンダイクは刺激━反応結合が創出する長期増強は行為の出力と考え、刺激とその反応の出力に力点を置いて、出力が刺激━反応結合の強度に跳ね返って行く事があると考える発想が、後の学習の強化理論に繋がる。
後の研究で、ソーンダイクは効果の法則を修正して、反応と報酬の間の時間差や課題の反復の効果、反復の無い時に如何なる短時間で課題が忘れ去られるような、様々な他の変数を入れるようになった。
ソーンダイクは、「満足乃至不満足が大きくなれば、結びつきの強さ乃至弱さも大きくなる」と言った。
ソーンダイクは人間の知能を測定する為に、CAVD(成就、計算、語彙、活用)テストを考案し、これは今日の全ての知能検査のモデルとなり、機械的知能(事象がどのように機能するかの理解力)だけでなく、抽象的な知能(創造力)や社会的知能(対人的な技術)をも計測できるものであった。
ソーンダイクは、取分け年齢が学習にどう影響するかに関心を示したが、ソーンダイクによって提唱された学習理論は、今でも教育心理学の核心であり続けている。
恐らくその点こそが、他の何にも増してソーンダイク自身が語継がれる事を望んだ功績と言えよう。
だが、ソーンダイクが最も賞賛されるのは、行動主義運動に対して与えた計り知れない影響によってだ。
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パヴロフの犬 [心理学]

これは高校の教科書で習った条件反射の有名な話である。

イヴァン・パヴロフはサンクトペテルブルク大学で自然科学を学び、1875年に卒業した後、外科の学校に入学しそこで博士号を、後に特別奨学金を受ける。

1890年に、軍医学校の教授となり、医学研究所の生理学実験室の室長にもなった。


後に彼の名を有名にする犬の唾液に関する実験を遂行したのもここであった。

この実験によってパヴロフは1904年にノーベル賞を受賞する。

1890年代を通じて、パヴロフは犬を用いて一連の実験を行い、その結果を以下のように述べた。


(食餌が眼の前に差し出されるといった)無条件刺激は、(唾液の分泌といった)無条件反応を引起す役目を果す。

もし無条件的な刺激が(ベルの音といった)反応とは無関係な刺激と連合したなら、条件反射が形成されだす。

こうした情景が繰り返されると、(ベルの音といった)条件付け刺激だけでも(唾液の分泌といった)条件反射を惹起するようになる。


今日では、古典的或はパヴロフの条件付けとして知られているものの原理及びパヴロフの実験方法は、哲学の一部ではない真に科学的な心理学の出現においてパイオニア的な段階を画するものと見做されている。

パヴロフの業績は、直に広範な影響を及ぼすようになり、とりわけ米国では、「幼児アルバート」実験で、人間における古典的条件付けを実証したジョン・B・ワトソンやモルモットでさえ特定の仕方で振舞う様に「条件付ける」のが可能である事を明かにしたB・F・スキナーと言った行動主義の心理学者に多大な影響を与えた。

1950年代からは心理療法者達が、「条件付け」を行動療法の一環として用いだした。


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哲学から心理学の誕生へ [心理学]

ここまで、心理学の誕生に寄与した14人の哲学者(聖職者も含む)の概略を記述した。

1つはギリシャから論じられていた心と幸福の問題から派生した認識を含む意識から無意識へと議論が進んだ。

ファリア師によって催眠が取り上げられ、19世紀に入って医師が治療に催眠を含む無意識を取り上げた。


17世紀半ばにデカルトが「情念論」を出版し、心身の分離を主張し、19世紀初めにヘルベルトは自ら著した「心理学の教科書」の中で心の力動性を、意識と無意識を用いて叙述した。

19世紀中頃にはキルケゴールはその著「死に至る病」で実存主義の始まりを画し、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」の中で、私達のあらゆる特徴は遺伝的なものだと主張し、神経外科医のブローカは大脳半球の左右で機能が分離されている事を発見し、フランシス・ゴルトンは「遺伝的資質」における研究で、生まれより育ちが重要だと主張している。

19世紀後半半ばになると、ウェルニッケが大脳の特定領野へのダメージが特定の技能を喪失させる事を証明し、シャルコーは「大脳系の疾患に関する講義」をプロデュースし、ヴントはドイツのライプツィヒ大学内に世界初の心理学実験室を創設し、クレベリンは「精神医学の教科書」を刊行した。

19世紀最終盤にエビングハウスはその著「記憶について」で、無意味綴りの学習実験の詳細を明かにし、スタンレー・ホールが「アメリカ心理学雑誌」の第1版を刊行し、ジャネはヒステリーには人格の分離と分断が含まれると示唆し、「心理学の父」と称されるウィリアムジェイムズが、『心理学原理』を刊行し、ビネは世界初の心理診療所を解説した。


こういう経緯を辿って、哲学・宗教・医学夫々が複合して心を扱う学問として心理学が生れた。

21世紀に入った今、脳神経科学が大きく明らかとなり、20世紀に出現した半導体によるITも急速な発展を遂げ、AIによる脳の機能の置き換え研究も進んでいる。

幾世期か後には、機械による脳機能が解明されるかも知れないが、それは我々の十数世代後の話であろう。




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無意識はカーテンの背後にいる人間を見ている。 [心理学]

凡そ1880~1910年に、「解離」状態(幾つかの心的過程が当人の意識状態乃至通常の日常的人格から離れてしまった状態)に多大な関心が寄せられた。

軽度の解離では、世界が「夢の中のような」「非現実的な」状態と化すが、これはありふれたもので、殆どの人がそれに類した経験は持っていよう。

原因としては、インフルエンザやアルコールを含むドラッグが挙げられようが、これによって解離状態中及びそれ以降の記憶が部分的に、もしくは全面的に失われることもある。


稀なケースでは、多重人格障害に陥ることもあり、1人の人間の内に2人或はそれ以上の人格が出現(今日では「解離性同一性障害」に分類)することもある。

フランスの哲学者で医師であったピエール・ジャネは、解離を病理状態として記述し研究した最初の人である。

1880~1890年初期に掛けて、ジャネはパリのサリベトリエール病院に勤務し、「ヒステリー」に苦しむ患者の治療に当り、極端な症状を示した幾人かの女性患者の症例研究も公刊している。


例えば「ルーシー」は普段は穏やかだが、突然興奮して泣き叫び、これと言った理由も見当たらないのに怯え、彼女の中には3人の異なった人格があったようで、ジャネはそれを「ルーシー1」「ルーシー2」「ルーシー3」と名付け、それらの間での交代は大抵は突然であったが、取分け催眠状態において顕著に認められた。

ルーシー1は「自分自身の」記憶しか持たず、その点はルーシー2も同様だったが、ルーシー3は、7才のある休日に、カーテンの陰に隠れていた2人の男に脅されたというトラウマ的な経験を思い起すことさえできた。

ジャネの結論によれば、この幼児期のトラウマこそが、彼女の分裂の原因だ。


『心理学自動症』における記述によるなら、「恐怖の状態に自己の身体を保つことが、恐怖の感情を感じる事であり、この状態が下意識的な観念によって決定されているとしたら、患者は何故そんな風に感じているかも解らない侭に、自身の意識の中にこの感情だけを持ち続けるだろう」。

恐怖を抱きつつ、「どうにも私には訳が分らないけど…」とルーシーは言うかも知れない。

ジャネに言わせれば、「無意識はその夢を持っている。それはカーテンの背後に居る人間を見ており、身体を恐怖に保つ」と、自身の考えでは、トラウマ的出来事ストレスは、そうした体質を持った人であれば誰にでも解離の原因になり得るとジャネは付け加えている。


ジャネは、没個性的で異常と思われる行動の背後にあるはずの心の一部を、「下意識」として記述した。

だが、ジグムント・フロイトは、この用語は大雑把に過ぎると考え、代わりに自身の患者の心的トラウマの源泉を「無意識」と命名した。

フロイトは、解離は普遍的な「自己防衛のメカニズム」だと言うジャネの考えをも自分なりに展開した。


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ビネ━シモン式知能検査 [心理学]

ダーウィンの「種の起源」によって進化論が明らかになり、知能が遺伝学的に固定されるものなのか環境によって変化しうるものかと言う論争にとっての大枠を提供した時代にアルフレッド・ビネは登場した。

このブログで紹介した「精神生活は生命の始まりと同時に始まった」と結論付けたヴントは知能分布(IQ)という考えを提起して、知能を計測する試みを行った。

ビネは知能について自身の2人の娘の成長への関心から独学ながら興味を持ち、パリのジャン=マルタン・シャルコーとの7年に亘共同研究から、理解と正確さ、入念な計画に基づく実験手法が不可欠である事を学び取った。


1899年に教育の為に作られた新しい組織(児童の心理学的研究の為の自由組織)に参加するよう要請された。

この頃フランスでは、6才から12才の間学校に行くように義務となった所でもあった。

この自由組織におけるビネの活躍を見て、政府が主催する委員会に参加して、幼児の学習能力を評価する為の方法を考案するよう求められ、健常な子供と知的に障害のある子供の違いを明確にし、測定手段開発が課題となった。


ビネは、この課題に取り組むに当って、ソルボンヌ大学のビネ自身が1894年以来室長を務めていた心理学実験室の研究員であったテオドール・シモンの協力を仰ぎ、2人の実り多き共同研究が始まった。

これによって、知能テストで計測できるのは、特定の時点と特定の文脈における個人の心的能力だけと分る。

能力は短時間で変化することがあり、発達過程の一部として見た場合には、長期的なスパンで変化してゆく。


知能は各人の生涯を通じて変化行くものであり、個人の知能は量的に一定しないと結論付けている。

1905年にビネとシモンは、「白痴・精神薄弱・魯鈍状態を診断かる為の新たな方法」を作成し、3才から13才迄の子供を対象とした改訂版は「ビネ━シモン式知能検査」と名付けられた。

子供の観察に費やした長い年月を基に、ビネとシモンは、異なった年齢の子供達の平均的能力を反映した一群の課題を用いて、少しずつ難易度の上がっていくテストを30も作り、能力を発揮するのに重要なのは集中と断定した。


その後、ビネ━シモン式知能検査はビネの死後米国で乱用され、ビネの想定外の結果を招いている。





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記憶の忘却曲線 [心理学]

1885年にヘルマン・エビングハウスは、自身を被験者として長時間に亘りヘトヘトになる程の実験を行って、学習と記憶を組織的に研究した最初の心理学者となった。

エビングハウスは、記憶が検証可能なパターンに従うかどうかを確かめるべく、結果を数学的に記録して、記憶に関して連合の効果をテストした。

エビングハウスはまず、単語リストを記憶し、その内幾つ思い出せるかテストした。


その際、連想が働くのを防ぐ為に、2300もの「無意味綴り」を作成し、これはどれもが3文字からなり、例えば「ZUC」「QAX」と言った具合に、基本は子音━母音━子音のスタイルで統一され、これらを基にリストを作成する際に、エビングハウスは個々の綴りを1秒だけ見て、リスト全体にもう1度目を通す前に15秒の間隔を置いた。

この作業が、リスト全体を正確に一定のスピードで暗証できるようになるまで繰り返され、更にエビングハウスは、学習と忘却の速度に注意しつつ、異なったリストの綴りのリストを用いたり、学習の為のインターバルを変えたりと様々に試行した。

この結果分かったのは、無意味綴りに比べれば、詩のような意味のある素材の方が10倍も容易に覚えられると言うことだ。


更に、刺激(この場合には無意味綴り)が反復される回数が増えればそれだけ、記憶された情報を思い起こすのに要する時間は減り、最初の数回の反復が綴りテストを記憶するのに最も効果的であった。

当然の事だが、忘却の証拠を示す実験結果を考察して見ると、自身が時間を掛けて記憶したものは忘れる速度が遅くなり、学習の直後の記憶再生が最も良い成績をあげた。

エビングハウスは更に、記憶の保持に予期していなかったパターンが認められる事も明かにし、大抵最初の1時間で記憶能力は急速に失われ、その後は段々と失われてゆき、9時間が過ぎると6割近くが失われる。


24時間が経過すると、何であれ記憶された内容の内の2/3は忘れ去られる。

表に表すと、そこにははっきりとした「忘却曲線」が現れ、この曲線は、最初急激に下降した後は緩やかな曲線を描く。

エビングハウスの研究によって開拓された新しい探究領域は、科学的研究としての心理学を確立に寄与した。

細心の配慮をもって組立てられたその研究手法は、今日に至るまであらゆる心理学実験の土台となっている。





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米国心理学協会初代会長G・スタンレー・ホール [心理学]

スタンレー・ホールの考えはこうだ。

人間の発達は、環境によって決定され、それは「先祖の経歴」の反復だ。

子供は動物に類似した傾向を備えており、幾つもの成長段階を通過してゆく。


青年期になると、進化の勢いは収まり、それは個人的変化の時なのだ。

この粗野な無法状態を通じて、十代の若者達は、感受性豊かで、無鉄砲で、内気になり、沈みがちになってゆく。

それを経て子供は成人へとなり、詰り一層文明化され、「高度に秩序に順応した」存在になる。


ホールはそれを青年期とは新たな誕生だと定義した。

ホールの発見の多くは、青年期には塞ぎがちになる傾向がとても強く、それをホールは、11才頃に始まり15才でピークを迎えた後は、23才位まで段々と下降してゆく「失望曲線」として描き出した。

だが、ホールは青年期についてすっかり否定的であった訳ではなく、その著「」若者━その教育・組織化・衛生」によれば、「青年期は、より高度で一層複雑な人間的特徴が生れてくるという点で、新しい誕生だ」と定義づけた。


脳神経科学の立場から見れば、大脳辺縁系は思春期に完成される。

だから、完成された大脳辺縁系を以て新たな誕生と位置付けるのは無意味ではない。

大脳辺縁系の完成を待って、前頭葉が発達して大人となる。


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米国心理学の父ウィリアムジェイムズ [心理学]

心の問題は幸福論としてギリシャでよく出て来たが、意識という概念はデカルトを待たねばならなかった。
西欧で意識を本格的に扱ったのは医師で哲学者のジョン・ロックが「思考の領域」という概念で意識を扱った。
ドイツの哲学者カントは、私達の経験が1つに纏まる過程に関心を持ち、それらの概念を「統覚」と呼んだ。
ジェイムズは意識は唯1つの所に止まらず、思考の流れだと捉えた。
流れに乗っている思考は夫々互いに分離されていて、各々の思考は相継起していると考えた。
それでいながら、何らかの仕方でそれらは結合して、「統覚」の感覚を私達に齎していると考えた。
その理由は、私達の意識に入ってくる様々な思考が、同時に1つの「パルス(脈動)」を形作っているからだ。
これらのパルスのお陰で、私達はある結論(ないし「固定点」)から別の結論へと移っていく。
だが、思考の流れは前方へと流れ続けて行く事には変わりはなく、私達の意識は絶えず進展し続けている。
結果、私達は、意識を定義するよう求められない限りは、「意識」の意味を知っていると結論付けた。
この結論に持って行く為に、情動のジェイムズ━ランゲ説を編み出した。
意識についてのジェイムズの理論は、私達が事柄を真或いは偽とみなすやり方はジェイムズの理論に基づく。
ジェイムズは「『真理』は事実から生ずるのではなく、『事実』それ自体がそもそも真理ではない。事実は単にあるが侭であり、真理とは、事実の只中で始まり、終わりを迎える信念の機能だ。」と述べている。
ジェイムズは、「真の信念」を、信じている者にとって有用だと感じられている信念と定義した。
信念の有用性のこうした重視が、ジェイムズの思考の中核を為す、プラグマティズムと呼ばれる米国固有の哲学的伝統の中核に位置している。
現代神経科学は、意識について幾つものメカニズムを証明してきて、その始まりはイギリスの分子生物学者・生物物理学者フランシスクリックが、意識は大脳の特定部位と連関していると主張し、それは前部前頭葉皮質野で、この部位は計画や問題解決、行動支配といった思考過程に関わりを持つと主張した。
コロンビアの神経科学者ロドルフォ・ライナスによって意識を大脳中枢に埋め込まれていて、一定の頻度で大脳内部に生じる振動を調節する機能を担う視床の活動によることを唱えた。
1890年ジェイムズ著の「心理学原理」の縮刷版は、今尚版を重ねており、その考えは多くの心理学者は勿論の事、その他の分野の科学者や思想家達に計り知れない影響を与えている。
ジェイムズのプラグマティズムな哲学の事実への適用、即ち何が「真」であるかではなく、何が「信じるに有効か」に関心を傾ける態度があったればこそ、心理学は精神と身体は分離されているのか否かと言った問いから、注意・記憶・推論・想像・直観といった心的過程についての遥かに有用な研究への移行を為し得ている。


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精神生活は生命のはじまりと同時に始まった [心理学]

ダーウィンの進化論により、人間は遺伝的に他の動物達とリンクしており、意識は進化のスケールの最も低次の生き物から人間自身に至るまで機能していると断言され、様々な心理的実験が動物を用いてされるようになった。

そういう風潮を受けて、ドイツの医師にして哲学者、そして心理学者であった実験心理学の父と呼ばれるヴィヘルム・ヴントが1879年、ドイツのライプツィヒ大学に世界初の実験心理学研究室を創設した。

ヴントはその著「生命学的心理学原理」の中で、「意識とはあらゆる生ける有機体が共有している普遍的な所有物であり、進化の過程が始まると共に存在してきた」と主張している。


ヴントの考えでは、「意識の精密な記述」こそが実験心理学の唯一の目標であり、意識を「内的経験」と理解するもヴントが関心を抱いたものは専ら「直接に現実的なもの」ないしこの経験の明白な形式であった為、最終的に「直接的観察」によって研究も数量化も可能な行動のみを研究対象とした。

ヴント曰く、観察には外的観察(外界で見得るものを記録、例として刺激━反応実験)と内的観察(内省ないし自己観察)の2種あると言う。

外的観察は実験動物(人間においては光知覚に対する反応等)に刺激を与えて反応を見、記録を取るものであり、内的観察は思考や感情といった内面的な出来事に気付き、記録できる。


ヴントによれば、意識は表象・意思・感情という行為に関わる3つの主要なカテゴリーからなると主張した。

表象は、それが外界にある知覚された対象を指す場合は「知覚」であり、主観的な活動を対象とする場合は「直感」であり、知覚ないし表象が意識の内で明確になっていく過程を「統覚」と呼んだ。

意識の中で意思のカテゴリーは、それがどのように外界に干渉するかで特徴付けられる。

感情は被験者の主観的報告を通して、或は緊張と緩和もしくは興奮の行動レベルの計測で推測可能と考えた。


ヴントは意識を語る上で宗教・言語・神話・歴史・芸術・法律等の文化が関わっていると主張する。

殊に、統覚の象徴である言語は人間と他の動物を隔てる最大のものであると論じている。

意識と種については動物が自己認識ないし意識を持つかについてヴントは肯定的であったようだ。

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こころの内的連結の特異な解体 [心理学]

ドイツの医師エミール・クレペリンは、心的疾患の大半は生物学的な原因に由来するものだと考えていて、屡々現在精神医学の創始者とみなされている。

1883年に公刊された「精神医学の教科書」の中で、クレペリンは精神疾患の詳細な分類を提案したが、その中では「早発性痴呆」が、アルツハイマーのような遅発性の痴呆から区別されている。

1893年にクレペリンは、現在では統合失調症(スイスの精神医学者オイゲン・ブロイラーが「精神分裂病」と命名したが、現在では統合失調症と呼ばれる)と呼ばれている早発性痴呆を、「心的パーソナリティの内的連結の特異な解体を共通の特徴とする一連の臨床的状態」の成立として記述した。


クレペリンの所見によれば、混乱した反社会的行動を特徴とするこの疾患は、屡々十代の後半或いは成人になりかけの頃から現れ始める。

後年、クレペリンは、この病を4つの下位カテゴリに区分している。

第1の「単純型」痴呆は、動作の緩慢化と自閉症状によって特徴付けられる。


第2は妄想型で、怯えや被害妄想と言った形で症状が現れ、屡々患者は「監視されている」とか「話しかけられている」と口にする。

第3は、破瓜型で、会話の脈絡の欠如を特徴とし、時に、例えば悲しい状況で馬鹿笑いをするといった具合に、的外れな感情的反応や行動が認められる。

第4のカテゴリーが緊張型で、極度に動作や表情が乏しくなり、屡々数時間も同じ姿勢で座り続けるといった堅ぐるしさ、若しくは前後に繰り返し身体を激しく揺り動かすといった度を越えた活動の何れかを示す。


精神分裂病は死後の検死の結果、生理学的かつ構造的な大脳の異常と脳機能の障害が認められている。

精神疾患の大半は、元々は厳密に生物学的なものだというクレペリンの信念は、精神医学の領域に色あせる事の無い影響を齎しているし、多くの精神疾患の治療が今なお薬物療法によって進められている。

筆者は神経細胞の可塑性に大きく注目している者であり、薬物療法には懐疑的である。


目が見えなければ、視覚野は他の感覚情報を受け入れ、その環境に適応しようとする。

筆者は多くの精神疾患が適応障害であると考えており、その治療には会話によるもので良いと考えている。

信頼する専門知識を持った人との会話が一番だと主張したい。


何時も共に居る家族に対する教育が最も効果を上げるのではと考えている。

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ヒステリーの法則は普遍的だ [心理学]

ヒステリーは紀元前のエジプトやギリシアにおいて女性特有の症状であると考えられていた。

1662年イギリスの医師トーマス・ウィリスはヒステリー状態の女性の検死解剖をして、その原因が子宮には無く、その原因は別の場所にあると認めた。

現代神経学の創始者として知られるフランス人医師ジャン=マルタン・シャルコーは、心理学と生理学との関係に関心を抱いていた。


1860年代と1870年代を通じてシャルコーは、当時女性に見られた、過度に情動を記述するのに用いられていた術語である「ヒステリー」を研究していた。

症状としては、度を越えた泣き笑い、激しい身体運動や歪み、卒倒や麻痺、痙攣や一時的な視覚・聴覚の喪失等の所見が見られた。

サルペトリオール病院で何千人ものヒステリー患者の症例観察の結果「ヒステリーの法則」を明確にした。


シャルコーによれば、ヒステリーとは生涯続く遺伝的な状態であり、その症状はショックで発症し、ヒステリーと身体的疾患との類似性が、生物学的原因の探究を保証してくれると述べた。

シャルコーの教え子のジグムント・フロイトは、ヒステリー状態が身体的疾患である事を確信し、その点に関心が注がれ、フロイトが自身の精神分析理論において記述した最初の病はヒステリーであった。

こうして、フロイトの精神分析理論はスタートを切った事になる。




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人格は遺伝と環境とからなっている [心理学]

生物心理学では、1690年イギリスの哲学者ジョン・ロックは全児童の生れた時は白紙で平等と主張した。

1859年生物学者チャールズ・ダーウィンは人間の発達は全て、環境への適応の産物だと示唆する。

1890年ウィリアムジェイムズが、人間には遺伝的に受け継がれた個人的傾向「本能」が備わっていると主張した。


フランシス・ゴルトンは「人格を構成する要素には2つの異なった源泉がある」と主張した。

「遺伝」とは、生得的で遺伝的なもので、「環境とは、出生後に経験されていくものだ」と定義した。

私達は訓練と学習を通じて、自らの技能や能力を向上させてゆく事ができるが、遺伝は私達が自らの資質をどこまで伸ばすことができるかについての限界を定める。


遺伝と環境は、何れも何らかの役割を演じてはいるが、遺伝の方が決定的な要因だと主張した。

「遺伝か環境か」の論争は、今日まで続いている。

競走馬のように゜特定の性質を促進するべく、人を「育てる」ことは可能だというゴルトンの理論と見解に賛意を示す人も居れば、全ての子供はタブラ・サラ即ち「白紙」であって、生まれつき誰もが同等と考える人も居る。


今日の心理学者の殆どが、人間の発達において遺伝と環境の何れもが決定的に重要であり、両者は複雑に絡み合っていると認めている。

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真の自分自身たれ! [心理学]

「私はだれか」と言う根源的な問いは、古代ギリシア以来常に問題にされてきた。
「吟味されることのない人生は生きるに値しない」と言う有名な言葉を残したソクラテスの考えでは、哲学の主要目的は自己を分析し理解を深めることを通じて、幸福をより大きくしていく事にある。
ゼーレン・キルケゴールは自己分析こそが「絶望」の問題を理解する手段だが、絶望とは自己の抑圧ではなく、自己の疎外に起因すると断定している。
絶望は無知によるものと自己理解が増すに連れて鮮明になる真の絶望がある。
前者は「自己」について誤って持つもので、結果自分の潜在的な自己の実存乃至本性に気づかず、「知らぬが仏」を絶望と勘違いしている状態を言う。
後者は明敏な自己意識から、より深い段階の絶望が生じ、自己への激しい嫌悪を伴った絶望である。
深く自省すれば、何か他者にでは無く、目標達成できなかった自身に絶望し、自身が許せない事が分る。
これを解決するには、許せない自身を放棄し、真の自己を受け入れるしかない。
詰り、真の自分自身となろうとすることこそが、じつは絶望の対極を為すことに悟らねばならない。
この考え方に接して、筆者自身それまで自閉症と知らず、知って最後の自分探しとして脳神経科学を学び、考えた末に齎したものが「覆いの取り去った真の自己」に巡り合った事実と重なる。
キルケゴールは個人の責任を強調し、真の自己を発見して人生における目標を見出す必要を重視するが、通常これが今日では実存哲学の始まりを告げるものと見做される。
キルケゴールの着想は其の侭R・D・レインの実存的心理療法へと通じ、更にはカール・ロジャーズのような臨床心理学者達が実践する人間性心理療法に影響を与えた。




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概念はたがいに反発し合う時に強力となる [心理学]

ドイツの哲学者ゴットフリート・ライプニッツは「微小知覚」を提唱した。

それは様々な事象を知覚し、その記憶を貯蔵しているのに、その事に気付かない知覚を言う。

ヨハン・フリードリヒ・ヘルベルトはそれを拡張して観念という概念を定義した。


先ず、経験と感覚が結びついて、観念を形成する。

類似の観念は、共存及び結合し、非類似の観念は互いに反発し合い対立し合う力と化す。

ある観念は、他の観念より好まれ、ある閾を超えて好まれた観念は、意識の内に止まる。


閾を超えない観念は、意識を離れて、無意識的な観念と化していくと主張した。

ヘルベルトによれば、諸観念は諸感覚の結合から得られる情報として形成される。

ヘルベルトが観念を表すのに用いる用語「表象」には、思考や心的イメージはおろか、情動的状態も含まれる。


これらが心の全内容を為しているが、ヘルベルトはそれらを静態的要素ではなく、活動し相互作用を及ぼす力学的要素とみなした。

観念は、丁度磁石のように、他の観念や情動を引き寄せ、それらと結びつき、更には拒絶する力を持つ。

色彩と音調のような類似の観念には、互いに引き寄せ合い結合して、一層複雑な観念を形成する力がある。


ヘルベルトは無意識を単に微弱な若しくは対立し合う観念の貯蔵場所と見做した。

意識に2つの場所を設定し、きっちりした閾によって分割する事で、健常な心の内で諸観念をやりくりする為の構造的な解決法を提起した。

程なくして、ジグムント・フロイトが、心を遥かに複雑で奥深いメカニズムと見做すようになる。


フロイトは、ヘルベルトの考えを自身の無意識的衝動の理論と結びつけることで、20世紀において最も重要な役割を演じることになる治療法である精神分析の土台を形作った。





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催眠療法から無意識の発見へ [心理学]

エジプトやギリシアといった古い幾つかの文明では、病気になるとトランス状態を求めて「眠りの寺院」へ行く事がを普通の習慣と化していた。

そこでは特別な訓練を積んだ僧侶から示唆を受けて疑似催眠状態に陥り、癒しに繋がっていた。

1027年に医師アヴィケンナがトランス状態の特徴を記し、それを18世紀に医師フランツ・メスメルにより「ヒーリング療法」を開発し、患者の苦しみを軽減させたが、数年後ポルトガル領ゴア出身の僧侶であったファリア師はメスメルが開発した治療法の根幹であった磁気を否定して、トランス状態乃至「明晰な睡眠」は暗示の力に拠るものと1819年に出版した「明晰な睡眠の原因について」で論究した。


ファリア師は患者を椅子に座ってリラックスさせ、睡眠を考えさせ、穏やかに威厳を込めて「眠れ!」と命令すると彼らは明晰な睡眠に入って行くと論じている。

1843年に外科医ジェイムズ・ブレイドがファリア師の思想から催眠と言う言葉を造った。

ブレイドによれば「催眠とは睡眠の1タイプではなく、被暗示性が強められた結果としてひとつの観念に意識が集中している状態」と説明している。


暫くして、フランスの神経学者ジャン=マルタン・シャルコーがトラウマを持つヒステリーの治療に意図的に催眠を用いだし、効果を上げた事でヨセフ・ブロイアーやジグムント・フロイトが催眠に注目し、催眠そのものの背後に潜む衝動に問いを向け、無意識の力を発見する事となる。

病の治療が無意識の発見に繋がるとは驚きである。

しかし、フロイトの時代は仏教の唯識思想が西欧に輸入されていたから、そこらも疑う必要がある。




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この機械の中には推論する理性がある [心理学]

精神と身体が分離された別物だという考え方は、プラトン及び古代ギリシアに迄遡るが、心身の関係を初めて詳細に記述したのは、17世紀の哲学者ルネ・デカルトである。

1633年に出版されたデカルト著「人間論」で「非物質的な精神即ち『魂』は、思考を司る大脳中の松果腺に位置しており、他方で身体は神経系のなかをめぐって運動の原因となる『動物精気』でもって動かされる機会のようなものだ」と喝破している。


その基となったのは昨日取り上げたガレノスの気質論から発展したものである。

「我思う故に我有り」と言う有名な句はデカルトの処女作である「方法序説」で主張した有名な命題だ。

このように2つの我、即ち精神と肉体が動物精気の相互作用によって機械の中に理性があると主張した。


デカルトによれば、動物精気を自覚する事によって精神と肉体が相互作用すると考えていたようだ。

次の時代のイギリスアイルランド系哲学者ジョージ・バークリーが「人知原理論」の中で「身体や物体は単に精神の知覚以外のなにものでもない」との主張に発展した。

更に米国のウィリアムジェイムズが「意識の流れの理論」を打ち立てるのにも繋がった。

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人格の気質的4類型 [心理学]

2世紀のローマの哲学者にして自然科学者であったガレノスは、人格の類型という概念を定式化した。

元々ギリシャで唱えられていた4大元素、地(冷たく乾いている)・風(暖かく湿っている)・火(熱くて乾いている)・水(冷たくて湿っている)からヒントを得て気質論を主張した。

それは多血質・粘液質・胆汁質・憂鬱質で、体内における体液のバランスが気質に影響を与えるものでした。


どれか一つの体液が過度に増加すると、それに対応する人格類型が支配的となる。

多血質の人は体内の血液量が多すぎる為、ハートが温かく、友好的で楽天的にして自信に溢れるが、利己的にもなる。

粘液質の人は、過度の粘液の影響で、穏やかにして親切で、冷静かつ合理的だが、緩慢で内気になる事がある。


胆汁質の人は過度の黄胆汁の影響で、激しやすい。

憂鬱質の人は、過度の黒胆汁の影響で、詩的にして芸術的な傾向を示す事が多いが、そこには悲哀と不安の念が伴うことも屡々のようだ。

この学説はルネサンスになって、より進んだ探究にさらされて説得力を失うまでは、中世を通じて西欧社会を支配していた。


医学的には解剖学の進展により、ガレノスの権威は衰退したが、20世紀になって心理学者達に影響を及ぼす、謂わば心理学の父とも呼べる存在であったようだ。

仏教における唯識思想は現代の21世紀になっても通用する理論と考える。

西欧を先進国とし、その考えを優先する学校学習指導要領には辟易とする次第だ。




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心理学を構築した哲学 [心理学]

筆者は哲学者では無いが、若者達に「先ず、哲学をやりなさい」と言う。

現代哲学は自分を知る学問になっているからだ。

何を学んでも己を知っていれば、やっている学問と己との距離を知って、その学問が深く味わえるからだ。


元々、哲学はギリシャの「無知の知」を探究した哲人ソクラテスを祖とし、多くの弟子によって花開かせた。

ここでは、一昨日約束した通り、「心理学大図鑑」から心理学の形成過程としての哲学的ルーツの中で14人の哲学者若しくは神学者を紹介しているので、明日から一人ずつ紹介していくことにする。

哲学を学ぶ事は真の己を知る事にあり、その過程で心理学が創出してきたのは当然とも言える。


筆者は10回に及ぶ自身の思想史に書いてある通り、東洋思想それも仏教を己を知る学びとしてはしている。

現在の学校学習指導要領において、哲学が軽んじられる傾向にあるのを見て、日本の先行きを心配している。

江戸時代の藩校において、四書五経の素読が重んじられていたのだが、現行教育界は振り向きもしない。


小説「坂の上の雲」において、秋山好古は明治になって教育も受けず、独学で師範学校に進学している。

給費が良いからとて、士官学校へ行き、陸軍大学校にまで進学している。

その姿を見るに付け、現在の青少年が学校学習指導要領に振り回されて、醜悪な犯罪が多発しているのを危惧している次第である。

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