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無意識はカーテンの背後にいる人間を見ている。 [心理学]

凡そ1880~1910年に、「解離」状態(幾つかの心的過程が当人の意識状態乃至通常の日常的人格から離れてしまった状態)に多大な関心が寄せられた。

軽度の解離では、世界が「夢の中のような」「非現実的な」状態と化すが、これはありふれたもので、殆どの人がそれに類した経験は持っていよう。

原因としては、インフルエンザやアルコールを含むドラッグが挙げられようが、これによって解離状態中及びそれ以降の記憶が部分的に、もしくは全面的に失われることもある。


稀なケースでは、多重人格障害に陥ることもあり、1人の人間の内に2人或はそれ以上の人格が出現(今日では「解離性同一性障害」に分類)することもある。

フランスの哲学者で医師であったピエール・ジャネは、解離を病理状態として記述し研究した最初の人である。

1880~1890年初期に掛けて、ジャネはパリのサリベトリエール病院に勤務し、「ヒステリー」に苦しむ患者の治療に当り、極端な症状を示した幾人かの女性患者の症例研究も公刊している。


例えば「ルーシー」は普段は穏やかだが、突然興奮して泣き叫び、これと言った理由も見当たらないのに怯え、彼女の中には3人の異なった人格があったようで、ジャネはそれを「ルーシー1」「ルーシー2」「ルーシー3」と名付け、それらの間での交代は大抵は突然であったが、取分け催眠状態において顕著に認められた。

ルーシー1は「自分自身の」記憶しか持たず、その点はルーシー2も同様だったが、ルーシー3は、7才のある休日に、カーテンの陰に隠れていた2人の男に脅されたというトラウマ的な経験を思い起すことさえできた。

ジャネの結論によれば、この幼児期のトラウマこそが、彼女の分裂の原因だ。


『心理学自動症』における記述によるなら、「恐怖の状態に自己の身体を保つことが、恐怖の感情を感じる事であり、この状態が下意識的な観念によって決定されているとしたら、患者は何故そんな風に感じているかも解らない侭に、自身の意識の中にこの感情だけを持ち続けるだろう」。

恐怖を抱きつつ、「どうにも私には訳が分らないけど…」とルーシーは言うかも知れない。

ジャネに言わせれば、「無意識はその夢を持っている。それはカーテンの背後に居る人間を見ており、身体を恐怖に保つ」と、自身の考えでは、トラウマ的出来事ストレスは、そうした体質を持った人であれば誰にでも解離の原因になり得るとジャネは付け加えている。


ジャネは、没個性的で異常と思われる行動の背後にあるはずの心の一部を、「下意識」として記述した。

だが、ジグムント・フロイトは、この用語は大雑把に過ぎると考え、代わりに自身の患者の心的トラウマの源泉を「無意識」と命名した。

フロイトは、解離は普遍的な「自己防衛のメカニズム」だと言うジャネの考えをも自分なりに展開した。


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ビネ━シモン式知能検査 [心理学]

ダーウィンの「種の起源」によって進化論が明らかになり、知能が遺伝学的に固定されるものなのか環境によって変化しうるものかと言う論争にとっての大枠を提供した時代にアルフレッド・ビネは登場した。

このブログで紹介した「精神生活は生命の始まりと同時に始まった」と結論付けたヴントは知能分布(IQ)という考えを提起して、知能を計測する試みを行った。

ビネは知能について自身の2人の娘の成長への関心から独学ながら興味を持ち、パリのジャン=マルタン・シャルコーとの7年に亘共同研究から、理解と正確さ、入念な計画に基づく実験手法が不可欠である事を学び取った。


1899年に教育の為に作られた新しい組織(児童の心理学的研究の為の自由組織)に参加するよう要請された。

この頃フランスでは、6才から12才の間学校に行くように義務となった所でもあった。

この自由組織におけるビネの活躍を見て、政府が主催する委員会に参加して、幼児の学習能力を評価する為の方法を考案するよう求められ、健常な子供と知的に障害のある子供の違いを明確にし、測定手段開発が課題となった。


ビネは、この課題に取り組むに当って、ソルボンヌ大学のビネ自身が1894年以来室長を務めていた心理学実験室の研究員であったテオドール・シモンの協力を仰ぎ、2人の実り多き共同研究が始まった。

これによって、知能テストで計測できるのは、特定の時点と特定の文脈における個人の心的能力だけと分る。

能力は短時間で変化することがあり、発達過程の一部として見た場合には、長期的なスパンで変化してゆく。


知能は各人の生涯を通じて変化行くものであり、個人の知能は量的に一定しないと結論付けている。

1905年にビネとシモンは、「白痴・精神薄弱・魯鈍状態を診断かる為の新たな方法」を作成し、3才から13才迄の子供を対象とした改訂版は「ビネ━シモン式知能検査」と名付けられた。

子供の観察に費やした長い年月を基に、ビネとシモンは、異なった年齢の子供達の平均的能力を反映した一群の課題を用いて、少しずつ難易度の上がっていくテストを30も作り、能力を発揮するのに重要なのは集中と断定した。


その後、ビネ━シモン式知能検査はビネの死後米国で乱用され、ビネの想定外の結果を招いている。





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記憶の忘却曲線 [心理学]

1885年にヘルマン・エビングハウスは、自身を被験者として長時間に亘りヘトヘトになる程の実験を行って、学習と記憶を組織的に研究した最初の心理学者となった。

エビングハウスは、記憶が検証可能なパターンに従うかどうかを確かめるべく、結果を数学的に記録して、記憶に関して連合の効果をテストした。

エビングハウスはまず、単語リストを記憶し、その内幾つ思い出せるかテストした。


その際、連想が働くのを防ぐ為に、2300もの「無意味綴り」を作成し、これはどれもが3文字からなり、例えば「ZUC」「QAX」と言った具合に、基本は子音━母音━子音のスタイルで統一され、これらを基にリストを作成する際に、エビングハウスは個々の綴りを1秒だけ見て、リスト全体にもう1度目を通す前に15秒の間隔を置いた。

この作業が、リスト全体を正確に一定のスピードで暗証できるようになるまで繰り返され、更にエビングハウスは、学習と忘却の速度に注意しつつ、異なったリストの綴りのリストを用いたり、学習の為のインターバルを変えたりと様々に試行した。

この結果分かったのは、無意味綴りに比べれば、詩のような意味のある素材の方が10倍も容易に覚えられると言うことだ。


更に、刺激(この場合には無意味綴り)が反復される回数が増えればそれだけ、記憶された情報を思い起こすのに要する時間は減り、最初の数回の反復が綴りテストを記憶するのに最も効果的であった。

当然の事だが、忘却の証拠を示す実験結果を考察して見ると、自身が時間を掛けて記憶したものは忘れる速度が遅くなり、学習の直後の記憶再生が最も良い成績をあげた。

エビングハウスは更に、記憶の保持に予期していなかったパターンが認められる事も明かにし、大抵最初の1時間で記憶能力は急速に失われ、その後は段々と失われてゆき、9時間が過ぎると6割近くが失われる。


24時間が経過すると、何であれ記憶された内容の内の2/3は忘れ去られる。

表に表すと、そこにははっきりとした「忘却曲線」が現れ、この曲線は、最初急激に下降した後は緩やかな曲線を描く。

エビングハウスの研究によって開拓された新しい探究領域は、科学的研究としての心理学を確立に寄与した。

細心の配慮をもって組立てられたその研究手法は、今日に至るまであらゆる心理学実験の土台となっている。





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米国心理学協会初代会長G・スタンレー・ホール [心理学]

スタンレー・ホールの考えはこうだ。

人間の発達は、環境によって決定され、それは「先祖の経歴」の反復だ。

子供は動物に類似した傾向を備えており、幾つもの成長段階を通過してゆく。


青年期になると、進化の勢いは収まり、それは個人的変化の時なのだ。

この粗野な無法状態を通じて、十代の若者達は、感受性豊かで、無鉄砲で、内気になり、沈みがちになってゆく。

それを経て子供は成人へとなり、詰り一層文明化され、「高度に秩序に順応した」存在になる。


ホールはそれを青年期とは新たな誕生だと定義した。

ホールの発見の多くは、青年期には塞ぎがちになる傾向がとても強く、それをホールは、11才頃に始まり15才でピークを迎えた後は、23才位まで段々と下降してゆく「失望曲線」として描き出した。

だが、ホールは青年期についてすっかり否定的であった訳ではなく、その著「」若者━その教育・組織化・衛生」によれば、「青年期は、より高度で一層複雑な人間的特徴が生れてくるという点で、新しい誕生だ」と定義づけた。


脳神経科学の立場から見れば、大脳辺縁系は思春期に完成される。

だから、完成された大脳辺縁系を以て新たな誕生と位置付けるのは無意味ではない。

大脳辺縁系の完成を待って、前頭葉が発達して大人となる。


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米国心理学の父ウィリアムジェイムズ [心理学]

心の問題は幸福論としてギリシャでよく出て来たが、意識という概念はデカルトを待たねばならなかった。
西欧で意識を本格的に扱ったのは医師で哲学者のジョン・ロックが「思考の領域」という概念で意識を扱った。
ドイツの哲学者カントは、私達の経験が1つに纏まる過程に関心を持ち、それらの概念を「統覚」と呼んだ。
ジェイムズは意識は唯1つの所に止まらず、思考の流れだと捉えた。
流れに乗っている思考は夫々互いに分離されていて、各々の思考は相継起していると考えた。
それでいながら、何らかの仕方でそれらは結合して、「統覚」の感覚を私達に齎していると考えた。
その理由は、私達の意識に入ってくる様々な思考が、同時に1つの「パルス(脈動)」を形作っているからだ。
これらのパルスのお陰で、私達はある結論(ないし「固定点」)から別の結論へと移っていく。
だが、思考の流れは前方へと流れ続けて行く事には変わりはなく、私達の意識は絶えず進展し続けている。
結果、私達は、意識を定義するよう求められない限りは、「意識」の意味を知っていると結論付けた。
この結論に持って行く為に、情動のジェイムズ━ランゲ説を編み出した。
意識についてのジェイムズの理論は、私達が事柄を真或いは偽とみなすやり方はジェイムズの理論に基づく。
ジェイムズは「『真理』は事実から生ずるのではなく、『事実』それ自体がそもそも真理ではない。事実は単にあるが侭であり、真理とは、事実の只中で始まり、終わりを迎える信念の機能だ。」と述べている。
ジェイムズは、「真の信念」を、信じている者にとって有用だと感じられている信念と定義した。
信念の有用性のこうした重視が、ジェイムズの思考の中核を為す、プラグマティズムと呼ばれる米国固有の哲学的伝統の中核に位置している。
現代神経科学は、意識について幾つものメカニズムを証明してきて、その始まりはイギリスの分子生物学者・生物物理学者フランシスクリックが、意識は大脳の特定部位と連関していると主張し、それは前部前頭葉皮質野で、この部位は計画や問題解決、行動支配といった思考過程に関わりを持つと主張した。
コロンビアの神経科学者ロドルフォ・ライナスによって意識を大脳中枢に埋め込まれていて、一定の頻度で大脳内部に生じる振動を調節する機能を担う視床の活動によることを唱えた。
1890年ジェイムズ著の「心理学原理」の縮刷版は、今尚版を重ねており、その考えは多くの心理学者は勿論の事、その他の分野の科学者や思想家達に計り知れない影響を与えている。
ジェイムズのプラグマティズムな哲学の事実への適用、即ち何が「真」であるかではなく、何が「信じるに有効か」に関心を傾ける態度があったればこそ、心理学は精神と身体は分離されているのか否かと言った問いから、注意・記憶・推論・想像・直観といった心的過程についての遥かに有用な研究への移行を為し得ている。


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天才を造れ! [教育]

昨夜、NHKスペシャルで「東京アスリート1」の番組で張本智和、伊藤美和選手の紹介があった。

2人共に練習を始めたのは海馬は片鱗しか無い2才の時であったと言う。

張本の両親は中国卓球のトッププレイヤーであり、伊藤の母親は実業団のプレイヤーであったと言う。


張本は卓球一番の指導は受けず、伊藤はトイレに貼紙をする程のスパルタ教育であったようだ。

2歳児は記憶するのに、大脳皮質に直接貼り付けるやり方で記憶する。

何度も同じ動作をするので、長期増強が大脳皮質に植え付けられるのであろう。


結果、張本は時速100kmを超す玉の回転を見る事が出来、それに反応して0、015秒で飛んでくる玉に対する自身の対応が決まり、相手が打ち返せないであろう返球に繋がっている。

一方、伊藤は相手の姿勢や打点に視点の焦点を合せ、その仕草から玉のやスピードを推測して、微かに目の横に玉の気配を感じ取り、それに一瞬で反応して、相手が適応できないであろう返球を返している。

人間の動体視力を鍛えると言うのも、如何に多くのパターンを記憶しているかに掛っているのだろう。


東京アスリート計画は特殊な能力で無い事は、脳の可塑性によって担保されている。

子供を天才にしたいなら、その親は惜しみなく努力をすれば良い。

天才は特別な人では無く、人類の未来形でもある。


文明や社会が行き詰まり現象を見せているが、人間が変わればその行き詰まりも打開できると信じる。

世界一を競うアスリートに対して政府は力を入れる。

しかし、文明の行き詰まりこそ、政府が打開策を示さなければならない。


それこそが、「おめでとうございます!義務教育」なのである。

先ずは、教育費にお金が削れる効果が一番に現れるのだが、生産性革命が起きて来るのは間違いない。

大きく変容する社会を実現することにこそ政治の目的がある。




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精神生活は生命のはじまりと同時に始まった [心理学]

ダーウィンの進化論により、人間は遺伝的に他の動物達とリンクしており、意識は進化のスケールの最も低次の生き物から人間自身に至るまで機能していると断言され、様々な心理的実験が動物を用いてされるようになった。

そういう風潮を受けて、ドイツの医師にして哲学者、そして心理学者であった実験心理学の父と呼ばれるヴィヘルム・ヴントが1879年、ドイツのライプツィヒ大学に世界初の実験心理学研究室を創設した。

ヴントはその著「生命学的心理学原理」の中で、「意識とはあらゆる生ける有機体が共有している普遍的な所有物であり、進化の過程が始まると共に存在してきた」と主張している。


ヴントの考えでは、「意識の精密な記述」こそが実験心理学の唯一の目標であり、意識を「内的経験」と理解するもヴントが関心を抱いたものは専ら「直接に現実的なもの」ないしこの経験の明白な形式であった為、最終的に「直接的観察」によって研究も数量化も可能な行動のみを研究対象とした。

ヴント曰く、観察には外的観察(外界で見得るものを記録、例として刺激━反応実験)と内的観察(内省ないし自己観察)の2種あると言う。

外的観察は実験動物(人間においては光知覚に対する反応等)に刺激を与えて反応を見、記録を取るものであり、内的観察は思考や感情といった内面的な出来事に気付き、記録できる。


ヴントによれば、意識は表象・意思・感情という行為に関わる3つの主要なカテゴリーからなると主張した。

表象は、それが外界にある知覚された対象を指す場合は「知覚」であり、主観的な活動を対象とする場合は「直感」であり、知覚ないし表象が意識の内で明確になっていく過程を「統覚」と呼んだ。

意識の中で意思のカテゴリーは、それがどのように外界に干渉するかで特徴付けられる。

感情は被験者の主観的報告を通して、或は緊張と緩和もしくは興奮の行動レベルの計測で推測可能と考えた。


ヴントは意識を語る上で宗教・言語・神話・歴史・芸術・法律等の文化が関わっていると主張する。

殊に、統覚の象徴である言語は人間と他の動物を隔てる最大のものであると論じている。

意識と種については動物が自己認識ないし意識を持つかについてヴントは肯定的であったようだ。

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文部科学省は解体せよ! [教育]

文部科学省の不祥事がここ数年続いている。

これは、この組織が役割を終え、続くだけで弊害しか出さない組織になっているという証ではないのか。

このブログでも学校学習指導要領による社会への弊害は随分と書いた。


このブログ「心の深淵」の1つの柱である「おめでとうございます!義務教育」を実施すれば、少なくとも学校教育法に担保された文部科学省は要らなくなる。

我々の大切な神経細胞が自己死しているのであるから、それを防がない教育は合目的ではない。

教育は脳神経細胞に対する働きかけに過ぎないと筆者は断言しているが、その肝心の脳神経細胞の自己死を見て、見ぬふりしている文部科学省は教育に携わる資格が無いと言っても過言では無い。


携わる資格の無い者が大手を振っているのだから、そこに汚職が蔓延るのだ。

腐った肉に蝿や蛆が屯して腐っていくのと一緒で、現在制度改革が最も急がれる官庁が聖域化している所に、今回の接待汚職の根が深いという感を深くしている。

昨日、三期目の自民党総裁に選ばれた安倍晋三首相は盛んに憲法改正を唱えている。


政治課題としてもっとやらねばならない事があるのではないか。

安倍晋三首相の声は余りに皮相的すぎる。

教育もそうだが、公務員の働き方改革が必要なのが現代社会に求められている課題ではないのか。


様々な分野で世界に後れを取っている現状打開策は公務員の働き方改革ではないのか。

予算を有効に使ってこそ、世界に冠たる日本が実現すると考えるが、如何に。

公務員の働き方が変われば、民間は変わらざるを得ない。


明治150年、戦後70年の制度疲労に見舞われているのが日本社会である事を弁えて欲しい。

それに声を上げる政治家は居ない。

皮切りに「おめでとうございます!義務教育」から始めて欲しい。





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こころの内的連結の特異な解体 [心理学]

ドイツの医師エミール・クレペリンは、心的疾患の大半は生物学的な原因に由来するものだと考えていて、屡々現在精神医学の創始者とみなされている。

1883年に公刊された「精神医学の教科書」の中で、クレペリンは精神疾患の詳細な分類を提案したが、その中では「早発性痴呆」が、アルツハイマーのような遅発性の痴呆から区別されている。

1893年にクレペリンは、現在では統合失調症(スイスの精神医学者オイゲン・ブロイラーが「精神分裂病」と命名したが、現在では統合失調症と呼ばれる)と呼ばれている早発性痴呆を、「心的パーソナリティの内的連結の特異な解体を共通の特徴とする一連の臨床的状態」の成立として記述した。


クレペリンの所見によれば、混乱した反社会的行動を特徴とするこの疾患は、屡々十代の後半或いは成人になりかけの頃から現れ始める。

後年、クレペリンは、この病を4つの下位カテゴリに区分している。

第1の「単純型」痴呆は、動作の緩慢化と自閉症状によって特徴付けられる。


第2は妄想型で、怯えや被害妄想と言った形で症状が現れ、屡々患者は「監視されている」とか「話しかけられている」と口にする。

第3は、破瓜型で、会話の脈絡の欠如を特徴とし、時に、例えば悲しい状況で馬鹿笑いをするといった具合に、的外れな感情的反応や行動が認められる。

第4のカテゴリーが緊張型で、極度に動作や表情が乏しくなり、屡々数時間も同じ姿勢で座り続けるといった堅ぐるしさ、若しくは前後に繰り返し身体を激しく揺り動かすといった度を越えた活動の何れかを示す。


精神分裂病は死後の検死の結果、生理学的かつ構造的な大脳の異常と脳機能の障害が認められている。

精神疾患の大半は、元々は厳密に生物学的なものだというクレペリンの信念は、精神医学の領域に色あせる事の無い影響を齎しているし、多くの精神疾患の治療が今なお薬物療法によって進められている。

筆者は神経細胞の可塑性に大きく注目している者であり、薬物療法には懐疑的である。


目が見えなければ、視覚野は他の感覚情報を受け入れ、その環境に適応しようとする。

筆者は多くの精神疾患が適応障害であると考えており、その治療には会話によるもので良いと考えている。

信頼する専門知識を持った人との会話が一番だと主張したい。


何時も共に居る家族に対する教育が最も効果を上げるのではと考えている。

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ヒステリーの法則は普遍的だ [心理学]

ヒステリーは紀元前のエジプトやギリシアにおいて女性特有の症状であると考えられていた。

1662年イギリスの医師トーマス・ウィリスはヒステリー状態の女性の検死解剖をして、その原因が子宮には無く、その原因は別の場所にあると認めた。

現代神経学の創始者として知られるフランス人医師ジャン=マルタン・シャルコーは、心理学と生理学との関係に関心を抱いていた。


1860年代と1870年代を通じてシャルコーは、当時女性に見られた、過度に情動を記述するのに用いられていた術語である「ヒステリー」を研究していた。

症状としては、度を越えた泣き笑い、激しい身体運動や歪み、卒倒や麻痺、痙攣や一時的な視覚・聴覚の喪失等の所見が見られた。

サルペトリオール病院で何千人ものヒステリー患者の症例観察の結果「ヒステリーの法則」を明確にした。


シャルコーによれば、ヒステリーとは生涯続く遺伝的な状態であり、その症状はショックで発症し、ヒステリーと身体的疾患との類似性が、生物学的原因の探究を保証してくれると述べた。

シャルコーの教え子のジグムント・フロイトは、ヒステリー状態が身体的疾患である事を確信し、その点に関心が注がれ、フロイトが自身の精神分析理論において記述した最初の病はヒステリーであった。

こうして、フロイトの精神分析理論はスタートを切った事になる。




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人格は遺伝と環境とからなっている [心理学]

生物心理学では、1690年イギリスの哲学者ジョン・ロックは全児童の生れた時は白紙で平等と主張した。

1859年生物学者チャールズ・ダーウィンは人間の発達は全て、環境への適応の産物だと示唆する。

1890年ウィリアムジェイムズが、人間には遺伝的に受け継がれた個人的傾向「本能」が備わっていると主張した。


フランシス・ゴルトンは「人格を構成する要素には2つの異なった源泉がある」と主張した。

「遺伝」とは、生得的で遺伝的なもので、「環境とは、出生後に経験されていくものだ」と定義した。

私達は訓練と学習を通じて、自らの技能や能力を向上させてゆく事ができるが、遺伝は私達が自らの資質をどこまで伸ばすことができるかについての限界を定める。


遺伝と環境は、何れも何らかの役割を演じてはいるが、遺伝の方が決定的な要因だと主張した。

「遺伝か環境か」の論争は、今日まで続いている。

競走馬のように゜特定の性質を促進するべく、人を「育てる」ことは可能だというゴルトンの理論と見解に賛意を示す人も居れば、全ての子供はタブラ・サラ即ち「白紙」であって、生まれつき誰もが同等と考える人も居る。


今日の心理学者の殆どが、人間の発達において遺伝と環境の何れもが決定的に重要であり、両者は複雑に絡み合っていると認めている。

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真の自分自身たれ! [心理学]

「私はだれか」と言う根源的な問いは、古代ギリシア以来常に問題にされてきた。
「吟味されることのない人生は生きるに値しない」と言う有名な言葉を残したソクラテスの考えでは、哲学の主要目的は自己を分析し理解を深めることを通じて、幸福をより大きくしていく事にある。
ゼーレン・キルケゴールは自己分析こそが「絶望」の問題を理解する手段だが、絶望とは自己の抑圧ではなく、自己の疎外に起因すると断定している。
絶望は無知によるものと自己理解が増すに連れて鮮明になる真の絶望がある。
前者は「自己」について誤って持つもので、結果自分の潜在的な自己の実存乃至本性に気づかず、「知らぬが仏」を絶望と勘違いしている状態を言う。
後者は明敏な自己意識から、より深い段階の絶望が生じ、自己への激しい嫌悪を伴った絶望である。
深く自省すれば、何か他者にでは無く、目標達成できなかった自身に絶望し、自身が許せない事が分る。
これを解決するには、許せない自身を放棄し、真の自己を受け入れるしかない。
詰り、真の自分自身となろうとすることこそが、じつは絶望の対極を為すことに悟らねばならない。
この考え方に接して、筆者自身それまで自閉症と知らず、知って最後の自分探しとして脳神経科学を学び、考えた末に齎したものが「覆いの取り去った真の自己」に巡り合った事実と重なる。
キルケゴールは個人の責任を強調し、真の自己を発見して人生における目標を見出す必要を重視するが、通常これが今日では実存哲学の始まりを告げるものと見做される。
キルケゴールの着想は其の侭R・D・レインの実存的心理療法へと通じ、更にはカール・ロジャーズのような臨床心理学者達が実践する人間性心理療法に影響を与えた。




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概念はたがいに反発し合う時に強力となる [心理学]

ドイツの哲学者ゴットフリート・ライプニッツは「微小知覚」を提唱した。

それは様々な事象を知覚し、その記憶を貯蔵しているのに、その事に気付かない知覚を言う。

ヨハン・フリードリヒ・ヘルベルトはそれを拡張して観念という概念を定義した。


先ず、経験と感覚が結びついて、観念を形成する。

類似の観念は、共存及び結合し、非類似の観念は互いに反発し合い対立し合う力と化す。

ある観念は、他の観念より好まれ、ある閾を超えて好まれた観念は、意識の内に止まる。


閾を超えない観念は、意識を離れて、無意識的な観念と化していくと主張した。

ヘルベルトによれば、諸観念は諸感覚の結合から得られる情報として形成される。

ヘルベルトが観念を表すのに用いる用語「表象」には、思考や心的イメージはおろか、情動的状態も含まれる。


これらが心の全内容を為しているが、ヘルベルトはそれらを静態的要素ではなく、活動し相互作用を及ぼす力学的要素とみなした。

観念は、丁度磁石のように、他の観念や情動を引き寄せ、それらと結びつき、更には拒絶する力を持つ。

色彩と音調のような類似の観念には、互いに引き寄せ合い結合して、一層複雑な観念を形成する力がある。


ヘルベルトは無意識を単に微弱な若しくは対立し合う観念の貯蔵場所と見做した。

意識に2つの場所を設定し、きっちりした閾によって分割する事で、健常な心の内で諸観念をやりくりする為の構造的な解決法を提起した。

程なくして、ジグムント・フロイトが、心を遥かに複雑で奥深いメカニズムと見做すようになる。


フロイトは、ヘルベルトの考えを自身の無意識的衝動の理論と結びつけることで、20世紀において最も重要な役割を演じることになる治療法である精神分析の土台を形作った。





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盲聾者への教育(TBSの報道特集から) [教育]

昨夕TBSの報道特集で盲聾者への教育現場の混迷を極めている話題があった。

報道は知らせるばかりが能ではなく、知らせる為にはソースを究めねばならないのは当然で、そうでなければ幾ら時間とお金があっても足りない。

天下のTBSである。


報道内容が乏しすぎるのでは無いかと問いたい。

他報道が取り上げていないものを取り上げたのは褒めるべきかもしれない。

しかし、題材に対して突っ込みが足りなさ過ぎる。


盲聾者とは、脳に対する信号が触角と臭覚のみであると考えれば良い。

詰り、触角と臭覚に対する言語を構築して、それを論理だって吸収させれば良いのだ。

これこそが、おめでとうございます!義務教育に関わる話でもある。


これが行えれば、胎児にだって高等教育を施せるのではないかと考えてしまうのだ。

盲聾者に対して、例えばロボットのアイボにAIを搭載させ、スパコンと通信させてやる。

アイボからの振動を盲聾者に伝え、それによって起きた脳や体の反応は計測できる。


教えるのもアイボが良いだろう。

ディープラーニングを行い、AIは先ず適当な文法を編み出すと考える。

韓半島のハングルのようなものだ。


正常人には全く分らなくてもディープラーニングして教える文法を編み出したアイボには母語である。

それをアイボが振動や触れたり、冷熱の違いとか信号を出して発信したものに反応が帰って来る。

それも解析して自然と盲聾者に身に着いた文法が読み解けるだろう。


人間が努力するより何万倍も速く達成すると考える。

脳の可塑性に働きかけるのは「おめでとうございます!義務教育」の中には盲聾者も入ると考えると良い。

社会の奮起を期待したい。


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催眠療法から無意識の発見へ [心理学]

エジプトやギリシアといった古い幾つかの文明では、病気になるとトランス状態を求めて「眠りの寺院」へ行く事がを普通の習慣と化していた。

そこでは特別な訓練を積んだ僧侶から示唆を受けて疑似催眠状態に陥り、癒しに繋がっていた。

1027年に医師アヴィケンナがトランス状態の特徴を記し、それを18世紀に医師フランツ・メスメルにより「ヒーリング療法」を開発し、患者の苦しみを軽減させたが、数年後ポルトガル領ゴア出身の僧侶であったファリア師はメスメルが開発した治療法の根幹であった磁気を否定して、トランス状態乃至「明晰な睡眠」は暗示の力に拠るものと1819年に出版した「明晰な睡眠の原因について」で論究した。


ファリア師は患者を椅子に座ってリラックスさせ、睡眠を考えさせ、穏やかに威厳を込めて「眠れ!」と命令すると彼らは明晰な睡眠に入って行くと論じている。

1843年に外科医ジェイムズ・ブレイドがファリア師の思想から催眠と言う言葉を造った。

ブレイドによれば「催眠とは睡眠の1タイプではなく、被暗示性が強められた結果としてひとつの観念に意識が集中している状態」と説明している。


暫くして、フランスの神経学者ジャン=マルタン・シャルコーがトラウマを持つヒステリーの治療に意図的に催眠を用いだし、効果を上げた事でヨセフ・ブロイアーやジグムント・フロイトが催眠に注目し、催眠そのものの背後に潜む衝動に問いを向け、無意識の力を発見する事となる。

病の治療が無意識の発見に繋がるとは驚きである。

しかし、フロイトの時代は仏教の唯識思想が西欧に輸入されていたから、そこらも疑う必要がある。




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この機械の中には推論する理性がある [心理学]

精神と身体が分離された別物だという考え方は、プラトン及び古代ギリシアに迄遡るが、心身の関係を初めて詳細に記述したのは、17世紀の哲学者ルネ・デカルトである。

1633年に出版されたデカルト著「人間論」で「非物質的な精神即ち『魂』は、思考を司る大脳中の松果腺に位置しており、他方で身体は神経系のなかをめぐって運動の原因となる『動物精気』でもって動かされる機会のようなものだ」と喝破している。


その基となったのは昨日取り上げたガレノスの気質論から発展したものである。

「我思う故に我有り」と言う有名な句はデカルトの処女作である「方法序説」で主張した有名な命題だ。

このように2つの我、即ち精神と肉体が動物精気の相互作用によって機械の中に理性があると主張した。


デカルトによれば、動物精気を自覚する事によって精神と肉体が相互作用すると考えていたようだ。

次の時代のイギリスアイルランド系哲学者ジョージ・バークリーが「人知原理論」の中で「身体や物体は単に精神の知覚以外のなにものでもない」との主張に発展した。

更に米国のウィリアムジェイムズが「意識の流れの理論」を打ち立てるのにも繋がった。

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人格の気質的4類型 [心理学]

2世紀のローマの哲学者にして自然科学者であったガレノスは、人格の類型という概念を定式化した。

元々ギリシャで唱えられていた4大元素、地(冷たく乾いている)・風(暖かく湿っている)・火(熱くて乾いている)・水(冷たくて湿っている)からヒントを得て気質論を主張した。

それは多血質・粘液質・胆汁質・憂鬱質で、体内における体液のバランスが気質に影響を与えるものでした。


どれか一つの体液が過度に増加すると、それに対応する人格類型が支配的となる。

多血質の人は体内の血液量が多すぎる為、ハートが温かく、友好的で楽天的にして自信に溢れるが、利己的にもなる。

粘液質の人は、過度の粘液の影響で、穏やかにして親切で、冷静かつ合理的だが、緩慢で内気になる事がある。


胆汁質の人は過度の黄胆汁の影響で、激しやすい。

憂鬱質の人は、過度の黒胆汁の影響で、詩的にして芸術的な傾向を示す事が多いが、そこには悲哀と不安の念が伴うことも屡々のようだ。

この学説はルネサンスになって、より進んだ探究にさらされて説得力を失うまでは、中世を通じて西欧社会を支配していた。


医学的には解剖学の進展により、ガレノスの権威は衰退したが、20世紀になって心理学者達に影響を及ぼす、謂わば心理学の父とも呼べる存在であったようだ。

仏教における唯識思想は現代の21世紀になっても通用する理論と考える。

西欧を先進国とし、その考えを優先する学校学習指導要領には辟易とする次第だ。




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心理学を構築した哲学 [心理学]

筆者は哲学者では無いが、若者達に「先ず、哲学をやりなさい」と言う。

現代哲学は自分を知る学問になっているからだ。

何を学んでも己を知っていれば、やっている学問と己との距離を知って、その学問が深く味わえるからだ。


元々、哲学はギリシャの「無知の知」を探究した哲人ソクラテスを祖とし、多くの弟子によって花開かせた。

ここでは、一昨日約束した通り、「心理学大図鑑」から心理学の形成過程としての哲学的ルーツの中で14人の哲学者若しくは神学者を紹介しているので、明日から一人ずつ紹介していくことにする。

哲学を学ぶ事は真の己を知る事にあり、その過程で心理学が創出してきたのは当然とも言える。


筆者は10回に及ぶ自身の思想史に書いてある通り、東洋思想それも仏教を己を知る学びとしてはしている。

現在の学校学習指導要領において、哲学が軽んじられる傾向にあるのを見て、日本の先行きを心配している。

江戸時代の藩校において、四書五経の素読が重んじられていたのだが、現行教育界は振り向きもしない。


小説「坂の上の雲」において、秋山好古は明治になって教育も受けず、独学で師範学校に進学している。

給費が良いからとて、士官学校へ行き、陸軍大学校にまで進学している。

その姿を見るに付け、現在の青少年が学校学習指導要領に振り回されて、醜悪な犯罪が多発しているのを危惧している次第である。

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生きる為の背骨を探索する [教育]

「おめでとうございます!義務教育」の要は生きる為の背骨を形成する事にある。
これは父親に学んで貰って、自らの背中を見せて我が子に教えさせる義務教育の根幹に当る。
これは、手元に心理学大図鑑と言う書籍があるので、この項目を追って人の心の背景を探る事から始める。
この書は心理学が哲学から分岐したもので、行動主義から心理療法へ移り、認知心理学へと展開している。
それは、社会心理学や発達心理学及び差異心理学へと展開されている。
それを順を追って、説明した後、我が青年時代に良く読んだ紀野一義による著作に言及する。
そして、最後にわが家の先祖供養をしている真言宗開祖空海弘法大師の思想を詳しく紐解きたい。
それを読み解くバックグラウンドには当然、朱子学等の東洋思想が入って来る事となる。
個人の思想では無いかと批判も出てくるかと考えるが、現在の陳腐な文科省学校学習指導要領よりは遥かに背骨に深く踏み込めると信じている。
勿論、制度教育の中に個人思想を入れろと主張する積りは毛頭ない。
しかし、提唱者が何も示さず、制度だけ提唱しても原在の制度教育のように伽藍洞になるのだけは避けたい。
もし、制度教育にするなれば、この分野だけで大勢の秀智を集めなければなるまい。
この国は実質存在する自衛隊さえ文言化できない国である事も自ら知り、変わらなければならず、変えなければならないのだ。
この所、マスコミを醜悪なスキャンダルで大騒ぎしている中で、自然災害は極まっているかに見える。
これも、人間の在り方が根底から問われていると襟を正さねばならないので、こういう論になる。




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養子を貰う心構え [教育]

養子を貰うと言う気になるのは、子供が欲しいと言う欲望を持つからに他ならない。

欲しいから養子縁組のみならず、トレーニング迄受けた上で虐待するのであるからお話にならない。

話にならないのが「心の深淵」に他ならず、こうやって二月書いているが、結論については5年は掛るだろう。


5年でも結論は出ないかも知れないが、先人達の知恵を紐解きながら分る範囲でやっていきたい。

どういう理由があるにせよ、自身の欲望である子供が欲しいのに、虐待をしてしまうのが人間である。

一番考えなければならないのは、養子に来てくれる子供も自身と同じ人間であると言う自覚を持つ事だ。


自身が人間であると言う自覚すら無いのが普通であろう。

我有りとすら、気付いていない人の如何に多い事か。

そういう意味で言えば、不幸に逢えばその不幸と向き合わねばならないので、自身に気付く。


学ぶ意味を自身を知ることが最終的な目的と書いた。

自身に合うもので良いから、養子を貰う前に徹底して学ぶことが最善なのかも知れない。

何を学んだら良いか分からなければ、仏法を学ぶと良い。


日本人の殆どは、先祖供養を仏式でやっているのでお世話して頂けるお寺とご縁がある。

仏式で無ければ、その家の供養する宗教を学べば良い。

縁のある修行者に頼んで、徹底的に学んで、それでも子供が欲しければ、養子を貰えば良い。


しかし、現実問題徹底的に学ぶと言う事は難しいでしょうね。

養子に限らず、人との触れ合いによって生計を立てるのだって同じことが言える。

只、誰も言ってくれないし、自身ではご縁にさえ気づかない。


このブログで教育を扱うのはそういう意味合いがある。

是非、役立てて欲しい。

もう一つ、子供を授かると言うのは大切にする者を頂くという意味合いがある。


筆者も、今年92才になる母親の介護をするようになり、大切にする人を持つ幸せを感じた。

70才を前にして、大事にする人を欲しいと願いだしたのは遅すぎたかも知れない。

しかし、思ったが吉日は大原則なので頑張りたい。





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養子虐待 [教育]

今朝と言いますか、深夜1時にあいテレビを点けると、養子虐待の番組をやっていた。

これこそ、人が持つ心の琴線に触れる重大な出来事なので、心理学を書くと予告していたが変更した。

番組では虐待を受けた経験を持つ若い男女の悲痛な想いで埋め尽くされていた。


養子を貰うと言う事は、自身に子が無くて子供が欲しくて児童相談所で貰い受けたという事だ。

人の意思としては、ないものを貰うのだから、自身の分身として育てたくて貰ったんだと考える。

子供を育てた事の無い人が自身の分身に仕立て上げようとして思う道理に行かないのが現実だ。


そういう事は、筆者の如く70才(70才では分らないかも知れない)を前にして理解し得る事で若い人には分かろうはずも無いのは当然だ。

子供が欲しいと熱望して、その子供とひと時共同生活をして、児童相談所で訓練を受けて貰い受けたはずだ。

自身と他者の別は、可也齢を重ねた人でも難しい。


現実に筆者の母は老人ホームに入って貰っているが、母は70年近く筆者と付き合って我が胎を痛めた息子であるのに、息子の願いに反して、未だ甘えている。

92才にしてそうなのだから、人は我欲を意識するのも難しく、自制というのはとんでもないハードルであると言わねばならない。

92才にしてそうだから、子供を育てようと言う年頃の人に解れと言うのも無理な話だ。


人には意識があり、意思を持つ。

その意識も意思も千変万化するという事実を知らねばならない。

そこの表現が般若心経の空であり、無を出して森羅万象を解き明かす真理に辿り着くと考える。


児童福祉士にその教育をしなければ、この養子虐待は無くならないだろう。

現在の文科省による学校学習指導要領に従った教育を十二分に受けた一種公務員が破廉恥な汚職をする姿もそのあたりに垣間見える。

育てる子供が欲しいと願う人に、自身に対する確信を持たせようと考えれば(途方もない事)、これからこのブログで心理・宗教について述べようと考えているが、その辺りを吟味しない限り絶滅は困難だ。


ここらがこのブログで述べたい趣旨となる。


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昨日の記事について [教育]

昨日書いた天才創出論は、政府が現在の教育制度を改めなくっても、個人でできると言う話でした。

義務教育でないから、ドメスティックバイオレンスは無くならないでしょうし、理想的には行かないかもしれません。

しかし、現況の中で教育費を気にしなくて良かったり、子供が天才で子供の時から稼いでくれたりするかも。


算盤の有段者になるだけで、様々な科目の理解度は飛躍的に上がります。

胎児の時から童謡で美しい母語に触れ、早い段階で国語に長けた子供になれば、これも同様でしょう。

将棋も教えたら、今の藤井聰太7段のようになるかも。


只、幾ら強くても年に4人しか棋士になれませんから、棋士の世界は狭き門でしょうね。

しかし、将棋を通じて様々な事柄が理解できるとしたら、様々な仕事に応用が効きそうです。

様々な場面を将棋の場面と比較できるようになれば、将棋の手筋が人生の手筋となるはずです。


基礎知識としての童謡・算盤・将棋と言うのは、学校の勉強より遥かに力を発揮するでしょう。

やる、やらないは個人の選択でしょうし、このブログを見ただけでも出来るでしょうが、親の試行錯誤は大きいでしょうが、我が子の為ですので頑張られる事をお勧め致します。

次のステップは人間の背中を作ることに論究しようと考えますので、心理学・宗教について詳述する予定です。


元々、このブログは「心の深淵」ですので、心の奥深く迄、筆者の知識が及ぶ限り書いて行こうと考えます。

おめでとうございます!義務教育については背中についての結論がでなければ、次に進めないので後回しに致します。

これ迄書いた事だけでも、どんな景気対策よりも効果があると信じますが、政府の対応や如何。





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我が子を天才にしたい!方法は簡単 [教育]

子供を天才にしたいのは、全ての親の願いだろう。

天才であれば、塾も予備校に通わなくて、思い通りの進学が出来、生き方ができる。

それも大した手間なしで可能だ。


妊娠4ヶ月から分かり易い童謡3曲位を毎日繰り返して聞かせる。

算盤を振ってカシャカシャと鳴らし、将棋の箱もカシャカシャと鳴らす。

母胎から出て来た時には、お母さんの心音と同様に童謡と算盤や将棋の駒の音に慣れ親しんでいるはずだ。


童謡は生れて直ぐにお母さんが子守唄として繰り返して聞かせてやる。

そうして、歌ってやる歌の種類を少しずつ増やしてやれば、幼児語ではなく、歌詞に出て来る言葉を覚える。

絵本や百科絵本等を使って、その言葉に意味づけをさせてやる。


お腹の中で聞いた親しんだメロディーや歌詞は直ぐに覚えて一緒に歌えるようになるだろう。

算盤や将棋の駒のカシャカシャと言う音も慣れ親しんでいるので、直ぐに興味を示すと考える。

起き上がれるようになった時に、玩具として大きな算盤を買い与える。


遊びとして、珠を弾くことから始めれば良い。

そうしている内に、珠を弾いて1+1=2の抽象表現を教えてやり、加算から始めて乗除も教える。

これを教える為には妊娠時にお母さんが算盤について学んでいなければならない。


一才になる頃には、加減乗除が出来るようになり、ひょっとしたら九九も算盤を頭に描いて言えるだろう。

将棋を始めるのは、何でも口に入れなくなってからが良い。

それまでは、将棋の箱は開かないようにしてガラガラと鳴らして遊ばせれば良い。


算盤を教えているので将棋のルールを覚えるのは早い。

丁寧に教えてやれば、直ぐに覚え、指し出すのも早いと考える。

胎内に居た時から慣れ親しんだ音であるから、間違っても開く状態の箱を与えてはいけない。


赤子は口に入るものは飲み込んでしまう癖があると考えなければならない。

こう言う風に子育てをすれば、そんなに苦労せずに天才が生れるというものだ。

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学ぶ意味 [教育]

佐藤一斎は言志耋録の中で、「学は自らを知る事である」と述べている。

彼は朱子学及び陽明学の研究者であったから、学びは当然自身の研究分野であったと考えられる。

朱子学は儒教に仏教的な要素が加わり、宋学が生れたものを朱熹が四書五経に纏めたものである。


陽明学はその朱子学に実存哲学を加えたもののように解釈をしている。

共に、聖人を目指す学問であり、その聖人とは孔子を指すと考えて良いであろう。

明治に近代国家を造り、あれ程兵が強かったのは、聖人を目指した若者が国造りをしたからであろう。


その議論は、今は無く、奇跡であるとか元勲が偉かったという議論しか出てこないのは悲しい。

結果として、子供達は優しさしか教えられず、虐めに逢った時、自らを卑下するしか出来なくなっている。

ここ最近では自殺すら多く発生している。


聖人になろうという志が子供を成長させた。

しかし、現代では将来の夢とか心を持つ子供の数が圧倒的に減った。

これは、時の内閣総理大臣が憲法改正等とどうでもいい事を自らの志として掲げているからに相違ない。


国家が何を目指すべきか指示さなければ、夢や志を持つ若者は育たない。

文科省は学習指導要領等の枝葉末節を教員に押し付けるよりも、何になりたいかの議論をさせるのが先だ。

学びたくなれば自ずと学ぶのが人である。


筆者は学生に「大きな本屋さんに行きなさい。そして、目の前の棚で目に付いた本がご縁」だとよく言う。

第一冊目に読む本は、その科目にとってインデックスとなってくれる。

そのインデックスに沿って学んでいくと良い。





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強い人 [教育]

現実に強い人は居る。
今話題の宮川紗江さんだ。
体操協会副会長塚原さんを相手に、譲歩を引き出そうとて記者会見まで行っている。

もっと強いのはイチロー選手であり、将棋の藤井聰太7段である。
イチロー選手のストイックな自身を制御する姿を見ると、年俸に対して真摯に向き合っている姿には敬服する。
あの姿あってこそ、球団が故障者リストにも入れず特別待遇をしていると考える。

藤井聰太7段も未だ高校一年生であるが、対局姿勢にブレがない。
普通、対戦相手に応じて勝負するものだが、一貫して自分を信じて戦っている姿が美しい。
例外(問題を起こす人達)もままあるが一流のアスリート達は強い人であると考える。

彼らに共通して言えるのは、自身の行った訓練を糧として自らに自身を持っている事である。
自らに自信を持つ事こそ、強い人の条件なのである。
自身に何の努力も無ければ、自信の生れようもないというのは言い過ぎだろうか。

この世に生を受けただけでも尊い事であり、自信を持たねばならない。
しかし、幼児期に躾と称してその人格を否定するような扱いを受ける幼年時代を送る人が多い。
それが自らの強さを否定し、虐めによって自殺へと導くのだ。

両親が先ず分らねばならない所にも、おめでとうございます!義務教育を提唱する理由がある。
両親を教育しなければならない。
弱さが全ての悪を産んでいる。

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強い人を造る [教育]

昨日のSNS虐めでも書いたが、虐めをするのは心の弱い人が為す行為である。
同時に虐めに負けるのも、虐めに心が折れる弱さを持つから負けるのだ。
それでは、心の強い人はどうすれば造れるのだろう。

人が生きて行く為には、何らかの意味で強くなければ生きていけない。
例え弱い心を持っていても、何らかの強みを持つ必要があり、最も手近なのが虐めである。
虐める方は強いと錯覚してしまう。

錯覚でしか無いのだが、自分が強者と思い込み、虐めを受けた側が弱者と言う関係ができる。
強者とは、あの尾畠さんのような人の事を言うのであり、決して虐めを行う人でないと断言する。
虐めで強者となったつもりでも、他の人に虐められたら弱者と成り果ててしまう。

釈迦のように大勢の人々を救う願いを持つ事は難しいけれども、尾畠さんのようにならできる。
最近の教育を俯瞰して見ると、優しさは教えるが強さを教えていないように見える。
真の強者となって、謙虚に生きれば自ずと全ては集まってくると信じる。

真の強さを持つ事を教えねばならない。
それが真の虐め対策である。
「心の本体は楽しみにある」と王陽明は言った。

強くて楽しい人生を教育で具体的に教えねばならない。

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SNS虐め [教育]

昨夕、TBSの報道特集でSNS虐めされた少女が自殺について特集されていた。
何故、虐めに対する評価ばかりが強調されるのかと問いたい。
幾ら虐めが悪いと説いても、無くならないのが虐めなのである。

虐めに負けない事こそが唯一の虐めへの対抗策と言う事が社会が分からないから消えない問題なのだ。
強い人間は虐められても挫けないと言う事実に目を向けなければならない。
その強さに対する教育こそが教育に課せられた命題なのだ。

このブログでは志を持つ事が大切であると説いてきた。
真の志を持てば、その心は鋼より強い。
その志をないがしろにしている教育だから、虐め問題に対して無力と言わざるを得ない。

自身の生きている使命が何なのか、の疑問に答えねばならない。
一向一揆における信徒達やキリシタン禁止令にあっての信徒は死をも恐れなかった。
あの恐れない者に向かって虐める根性は、権力のみである。

教育が何を信じるかを明示しないで、行われている行為が虐めに他ならない。
強さを知らない子供達の魂は、唯彷徨うのみである。
日露開戦で203高地に突っ込んで行った兵士達は、母国のみならず家族を守る為に戦った。

太平洋戦争でも、鬼畜米英に家族が晒されると考え、散っていったのである。
優しさのみ教えていれば、虐めは無くならない。
家族や世界人類の為に働くのであれば、少々の虐めに屈する人は居ないのである。

報道が虐めだけを捕まえて画面で流していたのでは、使命が果たせない。
報道は真実を知らせる為に、戦地にも出向く。
その意味を深く国民に知らせてこそ、報道たる責任が採れるというものだ。

それより、教育に何を求めるか、それを統括する文科省のあり方への問い掛けも中途半端である。
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教育の目的 [教育]

以前のブログで“学びの目的”について“己を知る事”と書いた。
人は何時も己に自身は何者なのかを問い続けている。
ミラーニューロンは他者がなにをし、何に向かっているのかを捜す。

何も思わなくても、人は自身の存在を捜す為にミラーニューロンを持っている。
探す基準をもつと為に、ミラーニューロンは働いている訳だ。
であるから、教育を受けなくとも人は自身がその時点で何をすべきかを知る能力を備えている。

しかし、人は自身の赤子に自身の長所を教えたいと言う願望を持ったのが教育の原点である。
赤子に限らず、様々な災厄に苦しむ人を見て、自らの知識を教える事も教育の原点だ。
人が弱者に対して精神的に為しうる救済が教育であり、それを制度化したものが制度教育だ。

そこには、自らが居て、同じ場所に知らない他者が居て、利他行としての教育の原点がある。
現在の制度教育がその知らない他者を分らずに教えている事に社会が壊れていく恐怖を覚える。
神経細胞の自己死を知らずに、制度だけを推し進めている。

時々終末論が盛んになるのは、人類が知らずに危機感を持っているからなのかも知れない。
脳神経科学がそこそこ分った現在、この制度教育改革に舵を切らねばならないと考える。
自らを知り、他者へどう向き合うかを知る事こそ教育の目的が果たされた時ではなかろうか。

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