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現在教育理論の魁 [心理学]

 発達心理学の領域は、20世紀の大半を通じてジャン・ピアジェによってリードされてきた。ピアジェは、幼児の思考がどのように発達し、どのような段階を辿って成熟してゆくのかの解明を志し、それは環境を探検しようとする自然な好奇心の産物だと考えた。ピアジェの理論に続いて直に英語圏に紹介されたレツ・ヴィゴツキーの理論は、幼児は経験を通じて意味を発見すると主張したが、その際に「経験」という語の意味を拡大して、文化的経験と社会的経験もその中に含める事を提案した。ヴィゴツキーによれば、児童は主として他者との相互作用を通じて学習する。

 「認知革命」に弾みが掛ったのは、1960年代のこの頃の事だった。心的過程は、徐々に「情報処理過程」としての脳と言うアナロジーによって説明されるようになってきた。ジェローム・ブルナーは、この新たなアプローチにおける主導的存在の1人だが、それ以前には私達の欲求と動機が知覚にどう影響するかを研究し、私達は自分が見たいと望むものを見ると言う結論に達していた。次いでブルナーは、認知がどのように発達するかに関心を示し、幼児における認知過程の研究に着手した。


処理過程としてのこころ

 ブルナーは、認知モデルをピアジェ及びヴィゴツキーの考えに適用して、認知発達の研究における力点を意味の構成から情報処理(即ち、私達が知識を獲得し貯蔵する仕方)へとずらす事から、その探究を開始した。ブルナーは、知識の獲得は経験的過程と見做す点では、ヴィゴツキーに倣っていた。ブルナーの言う所では、学習は単独で進められるものでは有り得ない。何等かの形での指導が子供の発達には不可欠だ。だが、「誰かを指導する事…は、単にその結果を当人の心に伝達させる事に尽きるのではない。寧ろそれは、過程において先を予想する態度を子供達に教える事だ゛」。何代、そうする事でこそ、知識に意味が与えられる。認知心理学の観点からするなら、推論は「情報処理過程」と見做される以上、知識の獲得は生産物でも最終結果でもなく過程と見做されなければならない。こうした過程において私達に必要なのは励ましと指導であり、ブルナーの考えでは、それこそが教師の役割だ。

 「教育の過程」(1960年)でブルナーは、子供は教育の過程に対する能動的な参加者となる必要があるという考えを提示した。本書が決定的な引金になって、行政のレベルにおいても学校の先生のレベルにおいても、アメリカ中の教育理念が変容した。

 しかし、筆者は米国教育理論が正しいとは思わない。現実に今日活躍している藤井聡太7段が5~6才に倣い覚えた将棋の基礎知識を活用しているが、凡人の我々は5~6才に覚えた筈の知識は、霧散している。そして、殆どの人々は小中学校で習った事さえ覚えてはいない。然るに、何時覚えるべきか、現在の教育理論こそ間違っていると唱えたい。筆者は真に知識欲のある臨界期にこそ教育を施せば、藤井聡太7段のように活用するのではと考えている。現在の教育は間違っていると唱えたい。

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